Better Days!!

北海道の田舎出身アラフォーサラリーマンが、好きなお酒や音楽・仕事・節約術等について気軽に書いています。

「見た目の良し悪し」なんてファッションの流行と同じと思った件

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先日、わたしが生まれ育った北海道の出身で現在も旭川市に在住されている著名なHatenaブロガーであるポジ熊さんが「ルッキズム(見た目による差別)」についての記事をUPされていました。
 
 
わたしは、男性としてはかなり背も低い、平たく言えば「チビ」で(しかもバランス的にもかなり足が短い!)、顔面もいわゆる「イケメン」では勿論ありません。
はっきり言って、「チビ」であることはやっぱり何よりも自分のコンプレックスであることは間違いありません。
 
ベタかもしれませんが、テレビで福山雅治や最近であればディーン・フジオカがテレビや映画でスラッとした長い足を見せていると、
 
「うらやましいなぁ!」
 
「欧米人ならまだしも、同じ米を食べている日本人なのに、どうもこんなに差がついてしまうのか!」
 
といい年をした今でも思ってしまいますよね。
 
 

美醜の基準は誰かが決めたもの

 
以前、世界的に知られている邦画の名作「戦場のメリークリスマス」の監督で有名な故大島渚さんが、美容整形にかたくなに反対していたことを紹介しました。
大島監督は、美容整形否定派が否定の論拠とすることが多い「親にもらった体を安易に傷をつけてはいけない」という倫理に基づいたものではなく、「美しい目は二重だ」とか「美の基準」を医者、もっと言えば世間が作り上げてしまうことが危険
 
だから、美の基準を決め半ば強制的にその基準に沿った容姿を作り上げてしまう美容整形には反対の立場ということでした。
 
わたしはその大島監督の考え方を聞いて、かなり自分の身長に関するコンプレックスが軽減されたことを覚えています。
 
(前述のように、いまだにコンプレックスは抱えたままですが...)
 

 

勝手に決められた美の基準 過度に気にする必要はないのでは

 
世間が勝手に決めた美の基準です。
 
その基準は極端なことを言えば、ファッションの流行と一緒です。
 
ファッションの流行は、ファッションによって利益を得ている関係した人物や会社が人為的に流行らせたい服を選んだうえ、あたかもその服が世間で流行っているようかの風潮や広告を世の中に広めることで生まれると言われています。
 
美の基準はファッションの流行り具合と一緒。
だから、そんな人為的であやふやな美の基準に翻弄される必要な無いと思います。
 
 

チビかつ短足のわたし。でもそんなに気にならない理由とは?

 
前述したようにアラフォーのおじさんになってしまったわたしでさえ、いまだに自分がチビであるというコンプレックスは相変わらずあります。
 
少しでも背を高く見せたいとは常日頃思っていますし、足が長く見えるようなファッションを心がけるなど、涙ぐましい影の努力もしています。
 
学生の時は「逆三角形型」の体形になると、目の錯覚で背が高くなるということを知り、上半身のウエイトトレーニングをかなりしていて当時はかなりがっしりした体形でしたね。
 
でも
例えばシークレットブーツを履いたり、背が高くと言われている(?)体操を躍起になってやってみたり、怪しいサプリメントを買い続けたりしたことはありませんでした。
 
正直言うと、体操(たしか川畑式身長法だったと思います)やサプリメントはちょっとだけ実行したり、買ったことがあります。
でも、継続することはなかったです。
 
なぜか?
 
わたしはコンプレックスを抱えつつも、
「背が高いか低いかでいえば、高ければいいのになぁ。」という程度にしか考えていなかったからです。
 
「背が高くなりたい」という希望はあったものの、希望をかなえるためにひたすら努力するといった情熱を持てなかったのですね。
 
仮に背が高くなったとしても、わたしが160㎝でチビと言われるのはたまたま日本に住んでいて、日本人男子の平均身長が170㎝、160㎝の人間とならんだとき、160㎝かなり小さく見えるから「チビ」と言われているだけ。
 
オランダに住んでいれば、男子平均身長が180㎝ほどらしいので、おそらく170㎝の日本人はわたしと同じように「チビ」と言われてしまう。
 
逆に、
国名は忘れてしまいましたが、ミクロネシアのある国では平均身長がかなり低く、男子で165㎝もあれば「巨人が来た!!」と周囲の人が集まってくるようなところもある。
 
つまり、「チビ」か「チビじゃないのか」は絶対的な尺度ではなく、まったくもって相対的であることをわたしは知っていましたから。
 
そんな、相対的でふわふわしたものに自分のパワーなんてかけることが出来ないと思っていたんです。
 
勿論
「見た目を良くする作業」は身だしなみを整えたり、清潔感を演出することにも繋がるので、人間関係を円滑に進めていくためにもある程度は必要です。
 
要は、バランスが大切。
「見た目を磨く」その作業に没頭しないこと。
 
心の中で、
「見た目なんて、良し悪しが時間とともに変わっていく、そんなフワフワした実体のないものなんだ!」
 
「そんなものに自分は惑わされないぞ!!」
 
そのように思っていれば、
自分の容姿に過度のコンプレックスを抱くことは避けられるかもしれませんし
美容整形を何度も繰り返すような人が陥っていると言われている「 身体醜形障害」にかかってしまうような危険性も減るのではないか。
 
ポジ熊さんの記事を読んで
 
・大島監督の印象的だった美容整形(見た目)に対する発言。
 
・チビに対するコンプレックスに自分はどう向き合ってきたのか?
 
そんなことを思い出しました。