先日、北海道旭川市在住のパワーブロガーであるポジ熊さんの
見た目による差別「ルッキズム」についての記事を読んで
見た目による差別「ルッキズム」についての記事を読んで
美醜の基準はあくまでも時代や社会背景によって変化するもので、絶対的な尺度ではないのだから、出来る限り「あまり気にしない方がよいのでは?」と書きました。
自分の美醜については、「気にしない方がよい」
だけれども、他人に対しての美醜の言及は避ける。特に「悪口」は極力言わない。
ということについて書きたいと思います。
高校のクラスメートの女性に深い傷を負わせてしまっていた
わたしは、今も非常に後悔していることがあります。
それは過去、美醜について自分が言及したことで女性の心に大きな傷を負わせてしまったからです。
その女性は高校のクラスメイトです。
笑いをとっているつもりで、彼女も一緒に笑っていたのだが...。
高校のクラスメイトの女性はいわゆる「いじられキャラ」の女性でした。
性格は非常に明るくて、気さく。
非常にチャーミングな子で、結構仲が良かったのですね。
その子は、高校生という年頃もあってか、顔にかなりのニキビがあったのです。
今思うとなんて愚かでデリカシーのかけらもないことをしてしまったのだろうと恥じているのですが、わたしはその子のニキビ顔をネタにいつも周囲から笑いをとっていたのです。
その時は、彼女もいっしょになって「ゲラゲラ」と笑っていたのです。
やがて、彼女は高校を卒業して就職しました。
わたしも大学へ進学してお互い顔を合わすことも無くなりました。
しばらく時が過ぎ、彼女のことも忘れていたころ。
たまたま、かわいがってもらっていた大学の先輩が彼女と同じ職場に就職、わたしと高校が一緒で、しかもクラスメートで仲も良かったとその先輩は知らされました。
ある時、その先輩とその子について話していた時
「〇〇は、自分のニキビ顔について高校生の時ずっと悩んでいたんだって。」
「『お前にニキビについていじられていた時、心がいつも締め付けられる思いだ
った』と言ってたぞ!」
と聞かされたのです。
馬鹿な自分。その時初めて気付きました。
「彼女、わざと笑っていただけだったんだ。」と
悩んでいたニキビ
それを、他のクラスメートの前でネタにされ笑われる。
さぞかし辛かったと思います。
自分が「ただ、人を笑わせるだけのために」ただ面白おかしく言っていたことを今は深く後悔・反省しています。
〇〇さん。本当にごめんなさい。
美醜について言われたことは心にグサッと突き刺さってくる
見た目や仕草について他人から論評されることは、どんなことであっても自分の印象に残ってしまう。
つまり心にグサッと言葉が突き刺さると思うんですよね。
それを言われた本人が、良い意味であると好意的に解釈した場合でも、又その逆でも。
ずっとその言葉が影のようにその後の人生に影響を及ぼしてしまうと言ったら大げさでしょうか。
良い意味と思った場合は、それはおそらく本人にとってずっと場合によっては生涯にわたって何らかの自信になると思いますし。
悪い意味と捉えた場合は、ずっとコンプレックスとして心の奥底に刻まれてしまう。
例えば
わたしは前歯がちょっと隙間が空いている、いわゆる「すきっ歯」なんです。
それに気づいてはいたのですが、そんなにひどくはないし大して気にも止めていませんでした。
でも、ある時職場の先輩からそのことをまじまじと指摘されたんです。
それからは、会話したり笑ったりして歯を見せるとき、どうしても気にしてしまうようになりました。
鏡に自分の顔を写すたびになんか自然と「溜息」が出るようになってしまいました。
他人に言われるまでは、気にもしていなかった「すきっ歯」。
今はかなり意識してしまい立派なわたしの新たなコンプレックスとなってしまったのです。
わたしは他人に言われたことを何事も深刻にとらえる方ではありません。
でも、そんな自分でもどうしても気になってしまう。
他人ついての美醜を不用意に語るべきではない。
特にそれが「悪い意味での場合」はなおさら。
自分のすきっ歯を鏡で確認する度に、そのことを考えてしまいます。