Better Days!!

北海道出身アラフォーサラリーマンのブログ。Youtube・ビジネスハック・音楽・鉄道について

新庄さんの可能性にかける姿勢が素晴らしい

f:id:hi-kenta:20191124205350j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
先日、プロ野球選手を2006年に引退した新庄剛志さん(47歳)が突然現役復帰することを宣言。
大きな反響を巻き起こしていますよね。
 
わたしもほぼ同世代なので、とても嬉しくこのニュースを見ました。
 
だって、「新庄ならやってくれるかも知れない」「 新庄は面白いなあ。夢があっていいね。新庄なら復帰出来そうな気がするよ」

そんな声があるようにわたしも、本当に期待してしまいます。

 

「新庄ならやってくれるかも知れない!!」

 
わたしはこのニュースをみて、またプロ野球選手として活躍する新庄さんへの期待感とともに、この行動を通じて新庄さんは「何かを世間に伝えたいのではないか」と思ったのです。
 
 

自分で決めて実行することに意味がある

 
新庄さんは
「みんな夢はあるかい?1%の可能性があれば必ずできる」
と言いました。
 
普通に解釈すると「1%でも可能性があれば、夢は必ず実現出来る」ということになると思います。
 
でも、おそらく新庄さんが言いたかったことはこうです。
 
 
 
「1%でも可能性があれば、夢の実現のために努力することが出来る」
 
つまり、自分で「やりたい」とか「なりたい」と思っている夢があったら、その実現のために行動を起こすべきだということ。
 
新庄さんは、「またプロ野球選手として舞台に立ちたい」と思っている。
 
だから、それに向けて行動を起こした。
 
外部の人間はあれこれ、「無謀だ」とか「プロをなめている」とか言うかも知れないけれど、そんなことは関係ない。
 
ただ、自分がそう思ったから。
 
 

先輩 高木豊氏への反論

 
新庄さんは元プロ野球選手の先輩 高木豊さんがYoutubeで新庄さんが復帰に向けての挑戦について「本当に真剣にやるつもりなのか?」と言及したことについて自身のインスタで
 
「何歳になってもチャレンジするって気持ちは俺の勝手なんでほっといて下さい」
と反論しました。
 
 
まさに、「自分で決めたことなんだから、あれこれ言わないで。『自らが決めた。』それを尊重してほしい」と新庄さんは声を大にして言いたかったのだと思います。
 
 

新庄選手のスーパープレイ

新庄さんは、現役時代様々なスーパープレイで人々を魅了しましたが、自分が最も印象に残っているのは
敬遠球を無理やり打ちにいって、見事ヒット。サヨナラ打となった打席です。
 
ピッチャーが敬遠球を投げ始める素振りを見せたら、「投手」「打者」だけではなく我々「観客」までも「敬遠かぁー…。」という雰囲気になり、打者がその球を打ちに行くとも誰も思ってもいないし、期待なんかもしていない。
 
新庄選手はそんな白けてしまっている敬遠の場面でも、「もう少し腕を伸ばせば打てる!!」と可能性を感じ、それを実行に移して見事サヨナラヒットにしてしまった。
 
もし、敬遠球を打ちに行った結果空振りだったとしたら、次の日のスポーツ新聞でとんだ「笑い者」にされるかも知れない。
 
新庄選手は、そんなことはお構いなしに「打てるかも」と思った。
 
だからその可能性に賭けて行動しただけ。
 
そう思うんですよ。
 
 
 
 
世間も会社も何かに挑戦する人々に対して、「実現可能性はあるの?」「リスクは無いの?」とか言って、厳しい目を向ける昨今です。
 
そんなことに耳を貸さずに、新庄さんの「再びプロ野球選手になりたい」という挑戦。
 
 
これから、楽しみにその経緯を見守りたく思った今日このごろでした。
 
したっけね。

皇后雅子様の涙に感動しました!

f:id:hi-kenta:20191117192442j:plain

 
アラフォーおじさんの健太です。
 
先日、天皇・皇后両陛下の即位パレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が行われましたよね。
 
わたしはあいにく見に行くとが出来ませんでしたが、沿道には人多くの人が集まり祝福の声をあげたことが報道されていました。
そのなかで、皇后雅子様が「目頭を押さえる仕草」をしている映像が放送されていました。
 
わたしは、それを見てとても感動してしまいました!!
 
 

涙のわけは雅子様しか分からないが…。

 
もちろん、どんな思いがこみ上げてきて涙を流してしまっていたのか。
それは、雅子様本人しかわかりません。
 
でも、自分なりに解釈すると
 
これまで、病気の長期療養生活に対する世間のパッシング等、ほんとうに辛いこともあった。
でも、「今日こんな多くの国民が祝ってくれている。」
 
そして、結婚のプロポーズを受けた際
 
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」と言った天皇陛下(当時は皇太子)の言葉に嘘は無かった。
それを今日まで信じてきてよかった。
 
という心情だったのではないかと勝手に想像してしまいました。
 
 

天皇陛下は「男の中の男だ」と思った。

 
2004年、当時の皇太子様が記者会見で
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
と発言され、雅子様と宮内庁間での軋轢があったことが皇太子様自身から公にされました。
 
皇太子様「自ら」発言されたことに対して日本国民は大きな衝撃を受け、その発言を好意的・否定的に受取る人々が入り乱れ、様々な議論を巻き起こしたことは記憶に新しいところだと思います。
 
皇太子様は、自らがそのような発言することが国民に様々な議論が生じるのは重々承知の上で、あえて発言することによって、プロポーズした際の「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」という約束を実行したのだと思います。
 
 
「有言実行する、なんて頼りがいのある男性なんだ!」
 
「正に男の中の男!!」
 
わたしは、皇太子様の実行力や自らの発言に嘘をつかない誠実さに感銘を受けると同時に、同じ男性として「自分もこんな男になれたら…。」とてもうらやましく思ったことを記憶しています。
 
 

7:3分けの秘密とは

 
天皇陛下のヘアースタイルは学生時代から、いわゆるサラリーマンカット(死語?)である7:3分けでした。
 
特に学生時代では、とてもファッショナブルとは言い難い、7:3分けを崩さない当時の皇太子様。
 
「なぜそのヘアースタイルであり続けるのか?」
 
その訳を皇太子様へ聞いた人がいるようです。
 
 
 
皇太子様の答えは何だったと思いますか?
 
 
 
 
ヘアースタイルをいちいち変更するのは面倒くさいから?
 
 
それが髪質にあっているから?
 
 
自分に似合っていると思っているから?
 
 
 
 
 
皇太子様は「相手に安心感を与える髪型だから」と答えたとのこと。
 
 
おそらく、若かりし皇太子様は、どうも自分の髪型がファッショナブルではなく、その是非に世間の関心があることを知っていた。
 
でも、皇太子様は、国内外の要人要職の方々と伴にする機会が多い。
 
そのような立場から、あえて保守的な髪型に自分が徹することで相手に対して「安心感」やおそらくそこからやってくる「信頼感」を得てもらうことを優先していたようなのです。
 
そのエピソードからは、天皇陛下(当時皇太子様)は自分のことよりも常に相手のことを思いやる性格であることが伺い知れると思いませんか。
 
 
髪型のエピソードを知ったとき
 
 
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」
 
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
 
皇太子様は雅子様のことを本当に心より思いやって、上記のような発言をなさった。
 
そして、雅子様は「お守りします」という発言が真実だったことを今日あらためて実感さなっている。
 
だから、あの涙につながったのでは。
 
と思った今日このごろでした。
 
 
 
 
 
したっけね。

ラグビー日本代表キャプテンリーチ・マイケルのモットーが素晴らしい!

 

f:id:hi-kenta:20191031005114j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
ラグビーワールドカップ
 
日本代表は先日残念ながら準々決勝で南アフリカに敗れてしまいましたが、はじめての決勝トーナメント進出という偉業を成し遂げました。
 
でも、まだまだラグビー熱はおさまる気配がありません。
 
日本代表キャプテンだった「リーチ・マイケル」選手。
 
彼は、高校生の時北海道札幌山の手高等学校にラグビー留学で来日。
 
札幌山の手高校といえば、北海道の私立高校でスポーツの名門校です。
 
わたしの出身地北海道でリーチ・マイケルさんが日本でのラグビーキャリアをスタートとさせたと思うと、非常に嬉しく思います。
 
彼自身ニュージーランド出身であるばかりではなく、ラグビー日本代表構成選手のうち、15人が外国人選手であるという多国籍チームでありながら
 
リーチ・マイケル選手は、チームを一つにまとめ上げるため、日本文化・歴史を学ばせる機会をもち、試合前斉唱する国歌「君が代」をチームメイトで練習して、「君が代」の歌詞に出てくる「さざれ石」を見学したとのこと。
 
 
国籍・信条は抜きにして単純に、チームの面々が日本代表として国歌を一生懸命に歌ってくれる姿は日本人ならばやっぱり嬉しいし、感動しましたよね。
 
 

君が代の歌詞とは?

 
ところで、君が代で歌われている「さざれ石のいわおとなりて」の意味はわかりますか?
 
いい年をして恥ずかしながら…。
 
わたしは、正直マイケル選手のエピソードを知るまで正確にはわかりませんでした。
 
 
「さざれ石」とは、細かい石・小さい石のこと。
 
それに対して
 
「いわほ」は、大きな。
 
国民一人ひとり(小さな石)が続きの歌詞「巖 いわほとなりて=(大きな石となって)」、「こけのむすまで = (こけが生えるまで)」
 
君が代の歌詞
”意味の解釈には色々あると思いますが、制作した当時は天皇を我が君として捉え、国の繁栄と平和を祈る意味として制作されました。”
 
 
ラグビーは15人のフィフティーンが一致団結して戦っていくスポーツ。
 
チームスポーツのなかでもとりわけラグビーは「ワンフォアオール・オールフォアワン」の言葉が表しているように、チームメイト一人ひとりが力を合わせてこそ勝利を掴むことができる競技にように思います。
 
そんな競技のキャプテンであるリーチ・マイケルさんです。
 
君が代の「さざれ石のいわほとなりて」は非常に心に刺さってくる歌詞であったと思います。
 
だからこそ、チームメイトに君が代の歌詞も理解してほしい。
 
そう思って「さざれ石」を見学に行ったのではないでしょうか。
 
 

リーチ・マイケルのモットーとは

 
リーチ・マイケルのモットーは、「神に誓うな」「己に誓え」。
 
素晴らしい言葉だと思いました。
 
 
自分なりに解釈すると、
 
「あくまでも物事を決めていくのは自分自身」
 
そして
 
「自分と交わした約束には嘘をつかない」
 
ということだと思います。
 
 
高校生のときラクビー留学生として来日したことは先程述べました。
 
異国の地に足を踏み入れ文化・言葉の壁などもあり苦労は多かったと思います。
 
でも、今は日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張っている。
 
リーチ・マイケル選手は、キャプテン就任時、自分が様々な国・文化の入り混じったチームを一致団結させ、そして何よりも強いチームを作ろうと固く自分に約束したんだと思います。
 
 

泣かないリーチ・マイケルが泣いた!

 
惜しくも準々決勝で南アフリカに敗れてしまった日本代表ですが、初の決勝トーナメント進出という素晴らしい結果を残しました。
 

日本代表チームの解散式で普段はあまり泣かないといわれていたリーチ選手が、

「このチームのキャプテンを務められて誇りに思う」とチームメイトに伝えて涙を流したそうです。

 

涙を流したとき、果たしてどんな感情が去来したかはリーチ選手本人しか知ることは出来ません。

 

でも、「己に誓った、日本代表としての仕事を今やり遂げた」という気持があったのではないかとわたしは想像しました。

 
 

「神に誓うな。己に誓え。」

 
物事がうまく進まなかったりすると、私なんかはすぐに自分以外にその原因を求めてしまったりする癖があります。
 
例えば他人や自分が置かれた環境、そしてひどいときは親のせいにしてしまったり…。
 
 
でも、まずは
 
「『己に誓ったこと』=『自分と交わした約束』に対してそれを自分は守っているのか。忠実でいるのか?」
 
それを疑ってみる。
 
そうすれば、実は物事がうまくいかない原因は、自分自身であることがほとんどのような気がした今日このごろです。
 
 
 
したっけね!!

人が死ぬ前に起きることについて

 

f:id:hi-kenta:20191020002517j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
突然ですが、日々生活しているなかで
 
「自分が死んだらどうなるのか?」
 
「自分の周りの人はどう感じるのか?」等
 
考えたことがありますか。
 
 
わたしは、アラフォー40歳代です。
 
年齢的に、例えば身近な人が立て続けに病死したりするとかで死という現実を実際に直視することはまだまだ少ないですが、それなりに年もとってきたので死について考えることは最近多くなりました。
 
例えば、最近であれば孤独死が結構社会問題になってきているので
 
「自分も誰に看取られることなく孤独死してしまう可能性もあるかも?」
 
「自分が死んだら、誰か悲しんでくれるひとはいるかな?居なかったら悲しいなぁ…。」
 
とか。
 
そんななか、死についての面白い記事を発見したのです。
 
 
 
「人生の最期」の7日間に起きる知られざる現象
 
 
 
なぜ、この記事が目に止まったのか。
 
 
それは、ヤフーコメントのなかに
 
「死を迎えたひとは匂いが変わる」というのがあったから。
 
 
以前、私が親しくしていた医療機関に勤めている人が、「死期が近づいているひとは匂いでわかる」と言っていたのを思い出したからです。
 
 

本当に匂いが変わるのか?

 
「死期が近づいているひとは匂いでわかる」
 
私はその発言を聞いたとき「もしかしたら、そんなこともあるかもしれないなぁ」と否定も肯定も出来ない感じでした。
 
いまはSuica等交通系カードが通勤・通学定期としても利用されています。
 
紙や磁気カードに印字された定期券を利用しているひとは少数派となりましたが、そんな定期券に記載された利用期間や利用者名を改ざんして不正利用したとすると、結構な確率で改札する駅員さんに発見されたようです。
 
われわれ素人が目を凝らして見てみても、一見判別がつかない後から付け加えられた文字体や大きさの違い、修正した跡 等。
 
毎日毎日、改札で定期券を差し出される都度、記載内容をスキャン・チェックする作業を繰り返している駅員さんは定期券の絵面が事細かいところまで無意識に目に焼き付いている。
 
だから、一見して改ざんしていることがわからない定期券を差し出されても、これまで目を通してきた膨大な定期券のスキャニング情報と照らし合わせて「なにかおかしい」と直感的に感じるのだそうです。
 
それと同じで、日頃から患者さんと長い時間接し、無意識にその方の表情や息遣いなどが視覚・嗅覚に記憶されている医療従事者であれば、死期が迫っている患者さんが我々が検知できないような微妙な匂いを発していてもそれを「死期の差し迫ったサイン」として識別することができるのは何ら不思議なことではないとわたしは思ったんです。
 
 

人は生きることに一生懸命だ

 
死が間近に迫り弱っている人が急に元気になってしまう「中治り現象」
 
これは日本固有の現象ではなく、欧米でも観察されている事象で「last rally(ラスト ラリー)」と呼ばれているとのこと。
 
日本語で訳すと「最後の回復」。
 
「rally」意味を調べてみると
 
・〈人・集団が〉(共通の目的のために)結集する
・〈人・支援・世論などを〉(支持のために/反対のために)結集させる,再組織する≪for/against≫;〈軍勢などを〉立て直す
・〈人が〉(…から)力を取り戻す,回復する,持ち直す≪from≫
・〈気力・健康などを〉取り戻す,回復する,〈人を〉正気づかせる,元気づける,奮い立たせる
 
goo辞書より抜粋
 
記事にもあるように、「ラリー」と聞くと日本人は、パリ・ダカールラリーのような、モーターレースを思い出しますよね。
 
「rally」は「持てる力を結集させて、何かを成し遂げたり、回復させたりさせたりする」ことなんですね。
 
「結集」させるというのがこの言葉が持つ意味のポイントで、病気で体力が弱っていて、更に死期が迫ってきていて体力が落ちて生きているのがやっとの状態。
 
それなのに、持てる気力・体力を結集して短い時間でも病状を回復させて周りのみんなを驚かせてしまう。
 
まさに、「last rally」。
 
ピッタリな言葉だと思います。
 
死期が迫った状況と言えば、なにか大変な悲壮感を感じるものですが
 
「last rally」は人間が持っている生きることへの良い意味での執着や、大切な人が亡くなってしまうことで悲しみにくれる周りの人々を、自分が最後の力を振り絞って一時的にでも元気になって、「喜ばせてあげよう!」という優しさが為せる人間らしい行動だと思います。
 
 

心中を決意した恋人同士が最後にとった行動とは?

 
以前、確か自殺問題を扱ったテレビ番組で、恋人同士が心中する前にとった驚きの行動が紹介されていました。
 
二人一緒に自死することを決意した彼らがしたこと。
 
 
なんだと思いますか?
 
 
 
 
それは、なんと、恋人同士は死を目前にした最後のSEXにもかかわらず、避妊をしていたというのです。
 
彼らはもう死んでしまう。
 
だから、当たり前ですが避妊する必要はありません。
 
死んでしまえば妊娠する確率は0なのですから。
でも、避妊をしていた。
 
番組では、彼らの本当は「生きていたい」という希望。
 
「生への執着」が無意識かもしれませんが、そのような行動をさせたのではないかとコメントしていました。
 
 
当たり前ですが、人間は生物として生まれた以上、生物として「死が訪れるまで一生懸命生きる」という本能が備わっているのではないか。
 
急に病に臥していた人が、死を間近にして元気になってしまう「中治り現象」。
 
それが紹介された記事を読んで、あらためて我々人間が生きていることへの貴重さとありがたさ。
そして生命への尊厳を感じた次第なのでした。
 
 
 
したっけね!!

進次郎パッシング 原因は潔さが無かったから?

 

f:id:hi-kenta:20191006151842j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
小泉進次郎さんパッシングが中々収まりませんね。
 
なぜ、小泉進次郎さんがパッシングを受けているのか、その原因について数々の識者がコメントしています。
 
わたしが、とても的を得ていてかつ、自分自身も非常に参考になると思ったのは、元大阪府知事、大阪市長の橋本さんの発言です。
 
橋本さんは、小泉進次郎さんの欠点として
 
「知らないことを知らないと言わない」ところ
 
とコメントしていました。
 
他の方が、「中身が無い」「何が言いたいのかわからない」「日本語の使い方が変」等
発言の内容について言っているのがほとんどの中
 
橋本さんは、小泉さんの発言姿勢についての欠点を述べていたのは非常に印象的でした。
 
 

潔さが無かった

 
たしかに、進次郎さんは、言葉の使い方はうまいかもしれません。
 
でも、橋本さんが指摘しているように「申し訳有りませんが、知りません。」とか
「これから勉強します。」とかコメントするのは聞いたことがありません。
 
天性の言葉のチョイスがうまいので、なんとなく意味の通っているようなことを言って、聞いている方は心地良いのだけれども、よくよく考えてみると何を言っているのか良くわからない。
 
「ポエム」とか「言語明瞭意味不明瞭」とか言われれている所以ですね。
 
 
進次郎さんに対する世間からのパッシングが始まって、今日現在も進んでる。
 
なぜ、急にパッシングするようになったのか。
 
わたしは、庶民派だと思っていた進次郎さんが滝川クリステルさんのような(少なくてもイメージ的には)高嶺の花でゴージャスな感じな女性と結婚してしまった。
 
進次郎さんは「庶民派」だということ。
勿論、それは世間が勝手に作り上げていたものですが
 
滝川クリステルさんとの結婚で、それが裏切られてしまったと感じたのが一斉にパッシングが始まった原因でないかと前回記事に書きました。
 
国連総会では、なんか勝手な感想ですが、妙にカッコをつけてスピーチしているように見えました。
 
英語でスピーチしたのはそれはそれで、素晴らしいことですが
 
でも…。
 
なんか無理に欧米人がするようなジョークやアクションをしていて、隣りで進次郎さんの発言フォローを入れてくれた女性に対しての態度も
「なんとなくきざに見えて」
「わざとらしい」
「無理に堂々とした態度を作っている」
 
そんな気がしたんです。
 
 
こんな発言をしたら、環境大臣立場としては失格なのかもしれませんが、
 
「では、どうやって火力発電をどうやって少なくするのか」と記者に聞かれた際
 
それに対するプランを進次郎さんが持ち合わせていなかったのだから
 
橋本さんが言うように
 
申し訳有りません
 
「現段階では、その有効なプランを知りません
 
とハッキリ言うべきだったと思います。
 
 
その上で
 
環境大臣として
 
「原子力発電を削減しつつ、火力発電も削減する」
「そんな困難極まりない命題の実現が果たして本当に可能なのか」
「産学そして国民一丸となって、その実現可能性について議論して知恵を絞っていく」
 
「そんな、動きができるような体制をリーダーシップをとって作り上げていく」
 
そのように発言すれば、わたしは良かったのではないかと思います。
 
 
環境大臣を拝命されたものの、解決しなければならないとてもシリアスなテーマが山積している。
 
自分はそれを解決する有効な答えを今は残念ながら持ち合わせていない。
 
だから、皆さん「力を貸して欲しい」と表明すれば、世間の風向きも違ったのではないかと思う今日このごろでした。

小泉進次郎さんパッシング 伏線は滝川クリステルさんとの結婚?

 

f:id:hi-kenta:20190929072908j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
環境大臣に任命された後、初の外遊、国連総会でのスピーチでの「ポエム」「セクシー」発言で世間から大きなパッシングを受けている小泉進次郎さん。
 
つい先日まで「次期総理大臣」の若手国会議員有力候補として世間からもてはやされていたのが嘘のようです。
 
小泉進次郎さんが人気があったのは
 
・イケメン
・代々続く政治家一家でサラブレットな家系
・父親譲りの演説がうまい
・気さくで性格が良い
 
等色々あったと思いますが、
 
今回、旧にパッシングを受けるようになったのはおそらく滝川クリステルさんと結婚したことが大きな伏線になっているような気がします。
 
 

庶民派だと思っていたのがそうではなかった?

 
小泉進次郎さん。選挙になれば精力的に全国を飛び廻って、各地で候補者の応援演説。
 
演説に入る際、まずは集まった聴衆に地元の方言できさくに語りかけることで「つかみはOK!」とさせて。一気に心を掴んでいたようです。
 
そして、地域の名産品や美味しい食べ物の話をしたりして更に群衆との親近感を強めていく。
 
そうなれば、あの爽やかなルックスです。
 
一気にファンになってしまう人が多かったと思います。
(自分も男性のおじさんですが、以前演説会に行こうと応募したことがあります!)
 
演説で地元の方言を交えながら、これまた地元に根ざした話題を軽妙に語りかけていく。
 
そして、演説巧者にありがちな一種の「高圧感」も無く、あくまでも気さく。
 
ファンになった人は、進次郎さんに「庶民的」「庶民派」だという印象をもったはずです。
 
でも、元フジテレビアナウンサーの滝川クリステルさんと結婚してしまった。
 
滝川クリステルさんといえば、フランス人と日本人のハーフの美貌でフジテレビアナウンサー時代、「斜め45度」で視聴者に語りかけるように原稿を読み虜になった男性も多かった。
「斜め45度の微笑み」は一種の社会現象にもなっていましたよね。
 
美しいルックスと華やかな女子アナウンサーという世界で活躍されてきたので、彼女にはゴージャスな印象を持たれている方が多くを占めていたと思います。
 
 
そんな「ゴージャス」な彼女と「庶民派」だと思っていた進次郎さんが結婚してしまった。
 
 
「進次郎さん。やっぱり美人でゴージャスで華やかな女性が好きなんですね。」
 
そう思って、これまでの進次郎さんの印象が変わってしまった人も多いのではないか。
 
そう。単純なただのやっかみです。
 
 
勿論、滝川クリステルさんが、庶民的であるかないかはわたしにはわかりません。
あくまでも、わたしがもっているイメージです。(偏見です)
 
でも、そんな一種の単純なひがみ、やっかみが一気に今まで好意的に感じていた人の印象を変えてしまう。
 
 
これまた「人間の性なのかなぁ?」と
 
進次郎さんパッシングのニュースを観て考えてしまった今日このごろでした。

派手な人と地味な人。どちらがリーダーに向いているのか?

f:id:hi-kenta:20190928204518j:plain

アラフォーおじさんの健太です。
 
わたしはお酒が大好きなので、毎日お酒を欠かしませんし、サラリーマンなので会社の同僚や上司とも一週間に1回~2回程度はお酒を一緒に飲みます。
 
過度に気を使わなければならない(?)役員クラスの人達と飲みに行くことはそれほど多くありませんので、上司と一緒に飲むといっても結構気軽なもので、和気あいあいと飲んでいますね。
 
だから、上司と飲むこともそれほど苦になりませんし、気疲れもしません。
 
そんなわたしですが、一緒に飲んでいて、余り楽しくないと言うか、飲んだ後に「ぐったり」と気が滅入ってしまう人がいるんです。
 
それは、話し始めても、一向に話が尽きることが無い、常に話題を振りまき、人の輪の中心にいるような、いわゆる明るく、ポジティヴで「地味」「派手」で分けると「派手」で話し好きな人と一緒に飲んだときなんです。
 
なぜかというと、「聞き疲れる」んですよね。
 
私自身は明るい性格といわれ、人と会話することは好きなんですが、自分が話すよりも、人の話聞くほうが好きです。
 
いわゆる「マシンガントーク」をするような「話大好き」な人とは、たとえその内容が面白かったとしてもしばらく話を聞いていると疲れて気が滅入ってきてしまう。
 
みなさんも、そんな経験をしたことはありませんか。
 
そういえば、営業は基本的にお客様とトークをします。だから「話好き」の人が多いと思いきや、以外と話すのが苦手だという人も多いですよね。
「派手か」「地味か」と言ったら、地味な人。
 
意外とそんな人のほうが営業成績が良いし、マネージャーや役員等会社組織で人を束ねていくリーダーもどちらかといえば「地味な人」が多いと思います。
 
今日は、なぜ「地味な人」のほうが営業として成績が良くて、リーダーの資質があるのかについて考えてみました。
 
 

派手な人と地味な人

 
わたしの会社では、どちらも優秀な営業で同じくらいの営業成績を上げていても、「派手」な人と「地味な」人がいます。
 
派手な人は、例えば飲み会になっても常に話題の中心になって、面白おかしくトークしている。
 
当然、その人の周りには自然と人が集まってくる。
 
一方、地味な人は、どちらかといえば「聞き役」に徹して自分から話題を振りまくことがない。
 
だから、余り他人の印象に残ることも無い。
 
いわゆる、「控えめな」印象の人が多いような気がします。
 
 

地味な人は営業に向いていないのか?

 
話題の中心になって皆の注目を集めて派手な印象を与える人と、控えめな地味な人。
 
営業としてはどちらが大成するのか。
 
現在の会社で役員になっている人。
営業拠点や販売組織を束ねているマネージャー。
 
どちらも、営業として現場で第一線だった時は、皆「優秀」な営業だったという声はほぼ例外が有りません。
 
でも、ことさら非常に大きな商談を何回もまとめ上げ、「社長賞」を受賞する常連だったとか、いわゆる「伝説の営業マン」と評されるような人は意外と少ないように感じます。
 
 
そう考えてみると、現在、役員やマネージャーという人の上にたって仕事をしている人は若い頃「堅実に淡々と仕事をしてきた」と評価されている人が多いと思いますね。
 
 

内向的で控えめな人は、社内外の人から信頼される?

 
こんな記事がありました。
 
内気な性格は営業向き⁉︎コツさえ知れば優秀な営業マンになれるわけ
 

 

外交的な性格の営業マンは、コミュニケーション能力が高いので、
自分の話術を使ったり、ノリで契約を取りにいきます。
 

そのスタイルが相手にうまくハマれば商品を販売することができますが、
逆にハマらなければ、胡散臭いと思われたり、
売りつけられるのではないかと警戒されてしまいがちです。
 

ですので、外交的な性格を持っていて、社交性と話術を持っていても、
相手との信頼関係を深く築くことができないので、
どうしても販売にムラが出てしまうのです。
 

その一方で内気な性格の人は、営業をすることによって
「相手に迷惑をかけてはいけない」という意思が働き、
相手の気持ちになって考えることができます。
 

ですので、商品を売り込むというよりは、どちらかというと相手の話を聞いて、
その聞いた内容に対して提案するという話し方になってくるので、
相手からすると、売り込まれている感覚がしません。
 

外交的で自分の話術に自信を持っている営業マンと比べて、
内気な性格の営業マンは一方的な会話をすることがありませんので、
相手との深い信頼関係を築くことができるのです。
 

深い信頼関係を築くことができれば、
必死になって営業をして商品を売り込まなくても、
困った時には相手の方から相談してくれるようになりますし、
「購入するならこの人からだな」と思ってもらえるので、
その結果、契約を次々と取ることができるようになるというわけです。

 
そのとおりだと思いました。
 
 

地味な人は皆からの評価が一定だから人の上に立てる?

 
確かに記事にあるように、内向的な営業マンのほうが、例え時間がかかったとしても、本当の意味での深いお客様との信頼関係を築いているように思います。
 
外交的で話好きの営業はフィーリングがあっているお客様であれば、持ち前の明るさとトーク力でグイグイと自分のフィールドへ引き込み魅了させ、契約をとってきます。それが社内外での派手な印象形成や評価に繋がっていく。
 
そんな営業マンは反面、フィーリングが合わないお客様からは、外交的な営業が持っている明るさやトークが「胡散臭い」とか「押し付けがましい」といったマイナスの印象になって、思いの外、その営業マンに対する評価は悪かったりします。
 
成績やお客様からの評価にムラはあるものの、グイグイと人を惹きつけ契約をとってくる「派手な話好きの営業」。
 
派手さはないものの地道に安定した営業成績を残し、どのお客様からの評価も高い「地味な話を聞いてくれる営業」。
 
そんなタイプの違う営業マンがいたら、果たしてどちらが会社のマネージャーや役員のような人を束ねていく組織のリーダーとしてふさわしいのか?
 
 
リーダーは、人を引っ張っていく統率力を持っていることが必要だと思います。
 
それ以外に、リーダーは精神的に安定していて、常に冷静な判断が出来る人が求められますよね。
 
メンタル的に波があって、例えば、機嫌が良いときと悪い時で対応や指示することが違ったりしたら、下についている部下はたまったもんじゃ有りません!
 
精神的に安定していて価値判断や仕事の対するポリシーにもブレがない。
 
そんな人がリーダーであれば、たとえ仕事に非常に厳しいリーダーだったとしても部下は安心して自分に与えられたミッションを力を淹れて遂行出来る。
 
たとえ、もし実行していく過程でうまくいかないことがあっても、そんな資質を持ったリーダーであればきちんと相談に乗ってくれて、一緒に良き解決策を示してくれると思っているから。
 
言い換えれば、リーダーのリーダーたる資質には「安定感」が大きな要素を占めていると思います。
 
 
組織のリーダーでは意外と地味な人が多いのは何故か。
 
それが答えになっているような気がしました。
 
最後に、まさしく「理想的なリーダー」像が描かれている映画を紹介します。
 
ジャンルとしては戦争映画で、数ある潜水艦映画で最高傑作との呼び声が高いものですが、戦争映画に興味がない人でも
是非、おすすめですよ。