アラフォーおじさんの健太です。
東京オリンピック・パラリンピック開催まで1年を切りましたよね。
わたしの職場の周りでは、「チケット応募したけれども全て外れてしまった…。」と嘆いている人がいると思えば
取引先の方は「バスケットボール」が運よく当たりましたぁ!」と言っていたり、いよいよ盛り上がりを見せていますよね。
そんななか
オリンピック東京大会とほぼ同時期・同会場にて開催されるパラリンピック東京大会
パラリンピックが格差助長?異論も 超人化するアスリート」
という記事がUPされていました。
ちょっと考えさせられる記事だったので、今日はそれについて書こうかと思います。
なぜ、超人では駄目なのか?
最初この記事を見た時にわたしが違和感を持ったのは、タイトルを見て
「パラリンピック等で健常者に肉薄してあるいは凌ぐほどの驚異的な記録をする障碍者が出てきている。」
「障碍を持った方が、ブレードなどの装具を利用して健常者より良い記録を得ることは果たして正しいことなのか?」
という問題提起がなされているかと思ったからなのです。
健常者より記録が良くても問題ないのでは?
バネ作用をもったような義足(ブレード)のようなものを装着して障碍者の方がフィールドを走る。
仮にそれによって健常者を上回る驚異的な記録が出たとしてもわたしは良いと思います。
だって
障碍者の方は装具をつけ走ることに出来るようになるまで、血が滲むようなとんでもないほどの努力をしてきたはずですし、移動の制限など健常者が目に見えないところで相当な苦労をされている。
そして
「障碍者の方がより早く・快適に動くことが出来るように」と努力してきた装具メーカーや実証試験に参加した方々等、それぞれの真摯な思いの結晶が大きな記録になった訳ですし
障碍を持った方が、「健常者と比べて遜色なく早く動くことが出来るんだ。」ということがわかれば、障碍を持ってしまったことに対しての一つの大きな希望になるとも思ったからです。
勿論、障碍者の方々がスポーツをするにはまだまだ大きな課題があり、
例えば
体育館などのスポーツを実施する際の施設のバリアフリー化がまだまだ不十分であるとのこと。
パラリンピンクのような競技大会であれば。例えばテレビ受けを優先するあまり、ボールを標的に近づける競技「ボッチャ」などのスピード感のない競技が淘汰される可能性は否定できない。また種目数を削減することになれば、障害のランクの統合が進み、重度障害者を置き去りにするような事態も憂慮される。
そのような問題があることも知りました。
東京オリンピックとほぼ同時期に開催さえる「東京パラリンピック」
もし、障碍者の方々が健常者と同様・それ以上の記録を出してメダルラッシュ!
日本全体が大いに盛り上がることがあったとしたら…。
それに対して、日本人として嬉しさを感じつつも、なにかの違和感を持つ人がいるのでしょうか?
皆さんはどう思いますか。