Better Days!!

アラフォーサラリーマンのよもやまばなし

実家で視たYoutubeチャンネルが面白すぎた!

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アラフォーおじさんの健太です。
 
お正月、田舎の北海道に帰省しました。
冬のシーズンに帰るのは、数年ぶりです。
 
とにかく雪が少なくてびっくりしました!
 
帰省した日の札幌はなんと積雪0、観測史上初の珍事だったようです。
 
2月4日から始まる「札幌雪まつり」。
 
雪像を作るためには材料として勿論大量の雪が必要なのですが、記録的な少雪によって「材料をいかに確保するか?」が問題になっているとのこと。
 
雪の少なさに甚だ驚いてしまいましたが
北海道にいる間は、旧友と久しぶりに会って「ススキノでたらくふ飲んで…。」と楽しんできました!
 
 
 
 
そんな折、実家でまったりと過ごしている時、私の甥っ子がYou Tubeでアニメを視ていたんです。
 
わたし、普段はアニメをほとんどみません。
でも、そのアニメがふと目に止まったんです。
 
 
なぜなら、とても新鮮で面白かったから。
 
 
小学生の甥っ子が視るようなアニメにもかかわらず、大人でも「知的好奇心」を満たしてくれる内容だったんです。
 
 
その時のテーマは、確か「ドイツに来て学んだこと」だったと思います。
 
主人公の大学生がドイツに観光旅行。自ら体験した「意外だったこと」「困ったこと」「日本との文化のちがい」等を3分ほどの動画でわかりやすく解説していた動画です。
 
小学生でも理解できるようにしてあって、アニメなので「ギャク的」な要素もある。でも笑い一辺倒ではなくて大人でも「へぇ~。そうなんだ!」と知的に感心することが出来る。そんなチャンネルだったので印象に残ったんですね。
 
 
もう知っている方は多いと思いますが、Youtubeチャンネルの「フェルミ研究所」。
 
私はそんな人気チャンネルが有ることを知りませんでした。
 
 
調べてみると、チャンネル登録者はなんと186万人の人気チャンネルのようで、過去は取り上げたテーマの信憑性や妥当性等を巡って炎上騒ぎもあったようです。
 
 

科学的論証と、データで説を裏付けている

 
わたしがとてもおもしろかったテーマが
 

・高度1万メートルから飛び降りるとどうなるのか?

www.youtube.com

 

・クジラに飲み込まれたらどうなるのか?

www.youtube.com

 
どちらのテーマも、あなたが健康に恵まれて長生きしたとしてもおそらく経験しないような出来事だと思います。
 
そんな現実離れしたケースです。
 
でも、本当にそのようなことに遭遇した場合、人間は「どうなってしまうのか?」。
 
高度1万メートルは遥か雲の上です。
そんな所から落ちてしまったらどうなるのか?
 
クジラも私達と同類の哺乳類でおっとりした印象がありますが、あの巨体に吸い込まれてしまったら果たして「生還することが出来るのか?」
 
そんな事象に対して、真面目に、時には面白おかしく科学的事実やデータをもとに「実際どうなるのか?」論証していきます。
 
 
「フェルミ研究所」
 
子供向け?のアニメチャンネルと侮ることなかれ。
 
好奇心がある人であれば、きっと釘付けになってしまうと思います!!
 
 
知らない方は、是非一度ご覧あれ。
 
すでに知っている方は失礼しました…。
 
 
 
したっけね!!
 
 

全然飲み会が楽しくなかった理由について考えてみた

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アラフォーおじさんの健太です。
年の瀬。明日はいよいよ大晦日。
皆さんにとって今年はどんな年だったでしょうか。
 
わたしは無事、公私ともに大きなトラブルもなく1年を終えようとしています。
支えてくださった皆様。そして当ブログを読んでくださった方々に感謝しています。
ありがとうございました!
 
先日、入社以来とてもお世話になっていた先輩が定年を迎え勇退しました。
 
そこでささやかながら送別会ということで、気の合う同僚と合計4人で先輩を囲んで飲んだのです。
その先輩はとてもシャイで人見知りをする方。
なので一見社交的ではありませんが、気があった人とは深く付き合いするようなタイプ。
自分はそんな先輩の仕事ぶりを尊敬していたので、久しぶりに飲んで「ワイワイガヤ」と話が出来ることを非常に楽しみにしていたんです。
 
 

昔話に花を咲かせるのは良いが

 
そんなとても楽しみにしていた飲み会。
でも「全然楽しくなかった」。
というよりむしろ、「行かなければ良かった」とさえ思った。
なんか精神的にもかなり疲れましたし。
 
なぜなら、わたしを除く3人が全員仕事の昔話に花を咲かせて飲み会の間中、話題は終始それだけだったから。
 
勿論、自分だって辛かったこと、楽しかったこと含めて昔経験したことに思いを馳せて「こんな事もあったよね」とその時の仲間とともに懐かしむことはあります。
 
それはそれで楽しいことは否定しない。
 
楽しくなかった飲み会では話題が昔話「のみ」だったから、面白くなかったし精神的に疲れてしまったのです。
 
昔話で盛り上がるのは大いに良い。
でも、「昔話」は所詮「昔話」。
話している時は懐かしさやその時仲間と共に味わった連帯感等で楽しい気分になって盛り上がる。
でも、話題が尽きてしまったらなんとも言えない「虚しさ」が残ることが昔話にはありませんか。
 
話が終わった途端、「現実」に戻され、なんともやりきれない気持ちになるような…。
 
昔話をしていても、それに終始していては精神的に良くない。
 
なぜなら、昔話だけをしていたら、「今につながる展望が語られない」
つまり、「今を、そしてこれからどうしていこう」という建設的な話題にならない。
だから、精神的に疲れてしまうんですね。
 
昔話をするのは全然OK。
ですが、昔話をした上で、「昔はこんな苦労をみんなでした」だから、「今ある問題問題もきっと解決できるよね」とか
 
「昔はこんなこと簡単に出来たけれど、今は出来ない」けれども、「今だからこそでできることもある」
なによりも「自分たちは過去苦労してきた経験があるのだからそれを今に活かせるはずだ」
 
といった具合に、「昔→今」に繋がった昔話であれば、現在目の前にある仕事に昔話を活かすことができるし、もし、部下や後輩のような年下が同席していたとしても参考にしてもらえる。
 
「昔は〇〇だった。」「昔は良かった。」と言ってもなにも始まらない。
当たり前ですが、昔はもう戻ってこないのだから。
 
楽しみにしていた先輩との飲み会。
思いの外楽しくなかった。
「その原因が一体何なのか?」
 
考えてしまった本日なのでした。
 
 
それでは皆様良いお年をお迎えください。
 
したけっけね。
 

新庄さんの可能性にかける姿勢が素晴らしい

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アラフォーおじさんの健太です。
 
先日、プロ野球選手を2006年に引退した新庄剛志さん(47歳)が突然現役復帰することを宣言。
大きな反響を巻き起こしていますよね。
 
わたしもほぼ同世代なので、とても嬉しくこのニュースを見ました。
 
だって、「新庄ならやってくれるかも知れない」「 新庄は面白いなあ。夢があっていいね。新庄なら復帰出来そうな気がするよ」

そんな声があるようにわたしも、本当に期待してしまいます。

 

「新庄ならやってくれるかも知れない!!」

 
わたしはこのニュースをみて、またプロ野球選手として活躍する新庄さんへの期待感とともに、この行動を通じて新庄さんは「何かを世間に伝えたいのではないか」と思ったのです。
 
 

自分で決めて実行することに意味がある

 
新庄さんは
「みんな夢はあるかい?1%の可能性があれば必ずできる」
と言いました。
 
普通に解釈すると「1%でも可能性があれば、夢は必ず実現出来る」ということになると思います。
 
でも、おそらく新庄さんが言いたかったことはこうです。
 
 
 
「1%でも可能性があれば、夢の実現のために努力することが出来る」
 
つまり、自分で「やりたい」とか「なりたい」と思っている夢があったら、その実現のために行動を起こすべきだということ。
 
新庄さんは、「またプロ野球選手として舞台に立ちたい」と思っている。
 
だから、それに向けて行動を起こした。
 
外部の人間はあれこれ、「無謀だ」とか「プロをなめている」とか言うかも知れないけれど、そんなことは関係ない。
 
ただ、自分がそう思ったから。
 
 

先輩 高木豊氏への反論

 
新庄さんは元プロ野球選手の先輩 高木豊さんがYoutubeで新庄さんが復帰に向けての挑戦について「本当に真剣にやるつもりなのか?」と言及したことについて自身のインスタで
 
「何歳になってもチャレンジするって気持ちは俺の勝手なんでほっといて下さい」
と反論しました。
 
 
まさに、「自分で決めたことなんだから、あれこれ言わないで。『自らが決めた。』それを尊重してほしい」と新庄さんは声を大にして言いたかったのだと思います。
 
 

新庄選手のスーパープレイ

新庄さんは、現役時代様々なスーパープレイで人々を魅了しましたが、自分が最も印象に残っているのは
敬遠球を無理やり打ちにいって、見事ヒット。サヨナラ打となった打席です。
 
ピッチャーが敬遠球を投げ始める素振りを見せたら、「投手」「打者」だけではなく我々「観客」までも「敬遠かぁー…。」という雰囲気になり、打者がその球を打ちに行くとも誰も思ってもいないし、期待なんかもしていない。
 
新庄選手はそんな白けてしまっている敬遠の場面でも、「もう少し腕を伸ばせば打てる!!」と可能性を感じ、それを実行に移して見事サヨナラヒットにしてしまった。
 
もし、敬遠球を打ちに行った結果空振りだったとしたら、次の日のスポーツ新聞でとんだ「笑い者」にされるかも知れない。
 
新庄選手は、そんなことはお構いなしに「打てるかも」と思った。
 
だからその可能性に賭けて行動しただけ。
 
そう思うんですよ。
 
 
 
 
世間も会社も何かに挑戦する人々に対して、「実現可能性はあるの?」「リスクは無いの?」とか言って、厳しい目を向ける昨今です。
 
そんなことに耳を貸さずに、新庄さんの「再びプロ野球選手になりたい」という挑戦。
 
 
これから、楽しみにその経緯を見守りたく思った今日このごろでした。
 
したっけね。

皇后雅子様の涙に感動しました!

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アラフォーおじさんの健太です。
 
先日、天皇・皇后両陛下の即位パレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が行われましたよね。
 
わたしはあいにく見に行くとが出来ませんでしたが、沿道には人多くの人が集まり祝福の声をあげたことが報道されていました。
そのなかで、皇后雅子様が「目頭を押さえる仕草」をしている映像が放送されていました。
 
わたしは、それを見てとても感動してしまいました!!
 
 

涙のわけは雅子様しか分からないが…。

 
もちろん、どんな思いがこみ上げてきて涙を流してしまっていたのか。
それは、雅子様本人しかわかりません。
 
でも、自分なりに解釈すると
 
これまで、病気の長期療養生活に対する世間のパッシング等、ほんとうに辛いこともあった。
でも、「今日こんな多くの国民が祝ってくれている。」
 
そして、結婚のプロポーズを受けた際
 
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」と言った天皇陛下(当時は皇太子)の言葉に嘘は無かった。
それを今日まで信じてきてよかった。
 
という心情だったのではないかと勝手に想像してしまいました。
 
 

天皇陛下は「男の中の男だ」と思った。

 
2004年、当時の皇太子様が記者会見で
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
と発言され、雅子様と宮内庁間での軋轢があったことが皇太子様自身から公にされました。
 
皇太子様「自ら」発言されたことに対して日本国民は大きな衝撃を受け、その発言を好意的・否定的に受取る人々が入り乱れ、様々な議論を巻き起こしたことは記憶に新しいところだと思います。
 
皇太子様は、自らがそのような発言することが国民に様々な議論が生じるのは重々承知の上で、あえて発言することによって、プロポーズした際の「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」という約束を実行したのだと思います。
 
 
「有言実行する、なんて頼りがいのある男性なんだ!」
 
「正に男の中の男!!」
 
わたしは、皇太子様の実行力や自らの発言に嘘をつかない誠実さに感銘を受けると同時に、同じ男性として「自分もこんな男になれたら…。」とてもうらやましく思ったことを記憶しています。
 
 

7:3分けの秘密とは

 
天皇陛下のヘアースタイルは学生時代から、いわゆるサラリーマンカット(死語?)である7:3分けでした。
 
特に学生時代では、とてもファッショナブルとは言い難い、7:3分けを崩さない当時の皇太子様。
 
「なぜそのヘアースタイルであり続けるのか?」
 
その訳を皇太子様へ聞いた人がいるようです。
 
 
 
皇太子様の答えは何だったと思いますか?
 
 
 
 
ヘアースタイルをいちいち変更するのは面倒くさいから?
 
 
それが髪質にあっているから?
 
 
自分に似合っていると思っているから?
 
 
 
 
 
皇太子様は「相手に安心感を与える髪型だから」と答えたとのこと。
 
 
おそらく、若かりし皇太子様は、どうも自分の髪型がファッショナブルではなく、その是非に世間の関心があることを知っていた。
 
でも、皇太子様は、国内外の要人要職の方々と伴にする機会が多い。
 
そのような立場から、あえて保守的な髪型に自分が徹することで相手に対して「安心感」やおそらくそこからやってくる「信頼感」を得てもらうことを優先していたようなのです。
 
そのエピソードからは、天皇陛下(当時皇太子様)は自分のことよりも常に相手のことを思いやる性格であることが伺い知れると思いませんか。
 
 
髪型のエピソードを知ったとき
 
 
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」
 
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
 
皇太子様は雅子様のことを本当に心より思いやって、上記のような発言をなさった。
 
そして、雅子様は「お守りします」という発言が真実だったことを今日あらためて実感さなっている。
 
だから、あの涙につながったのでは。
 
と思った今日このごろでした。
 
 
 
 
 
したっけね。

ラグビー日本代表キャプテンリーチ・マイケルのモットーが素晴らしい!

 

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アラフォーおじさんの健太です。
 
ラグビーワールドカップ
 
日本代表は先日残念ながら準々決勝で南アフリカに敗れてしまいましたが、はじめての決勝トーナメント進出という偉業を成し遂げました。
 
でも、まだまだラグビー熱はおさまる気配がありません。
 
日本代表キャプテンだった「リーチ・マイケル」選手。
 
彼は、高校生の時北海道札幌山の手高等学校にラグビー留学で来日。
 
札幌山の手高校といえば、北海道の私立高校でスポーツの名門校です。
 
わたしの出身地北海道でリーチ・マイケルさんが日本でのラグビーキャリアをスタートとさせたと思うと、非常に嬉しく思います。
 
彼自身ニュージーランド出身であるばかりではなく、ラグビー日本代表構成選手のうち、15人が外国人選手であるという多国籍チームでありながら
 
リーチ・マイケル選手は、チームを一つにまとめ上げるため、日本文化・歴史を学ばせる機会をもち、試合前斉唱する国歌「君が代」をチームメイトで練習して、「君が代」の歌詞に出てくる「さざれ石」を見学したとのこと。
 
 
国籍・信条は抜きにして単純に、チームの面々が日本代表として国歌を一生懸命に歌ってくれる姿は日本人ならばやっぱり嬉しいし、感動しましたよね。
 
 

君が代の歌詞とは?

 
ところで、君が代で歌われている「さざれ石のいわおとなりて」の意味はわかりますか?
 
いい年をして恥ずかしながら…。
 
わたしは、正直マイケル選手のエピソードを知るまで正確にはわかりませんでした。
 
 
「さざれ石」とは、細かい石・小さい石のこと。
 
それに対して
 
「いわほ」は、大きな。
 
国民一人ひとり(小さな石)が続きの歌詞「巖 いわほとなりて=(大きな石となって)」、「こけのむすまで = (こけが生えるまで)」
 
君が代の歌詞
”意味の解釈には色々あると思いますが、制作した当時は天皇を我が君として捉え、国の繁栄と平和を祈る意味として制作されました。”
 
 
ラグビーは15人のフィフティーンが一致団結して戦っていくスポーツ。
 
チームスポーツのなかでもとりわけラグビーは「ワンフォアオール・オールフォアワン」の言葉が表しているように、チームメイト一人ひとりが力を合わせてこそ勝利を掴むことができる競技にように思います。
 
そんな競技のキャプテンであるリーチ・マイケルさんです。
 
君が代の「さざれ石のいわほとなりて」は非常に心に刺さってくる歌詞であったと思います。
 
だからこそ、チームメイトに君が代の歌詞も理解してほしい。
 
そう思って「さざれ石」を見学に行ったのではないでしょうか。
 
 

リーチ・マイケルのモットーとは

 
リーチ・マイケルのモットーは、「神に誓うな」「己に誓え」。
 
素晴らしい言葉だと思いました。
 
 
自分なりに解釈すると、
 
「あくまでも物事を決めていくのは自分自身」
 
そして
 
「自分と交わした約束には嘘をつかない」
 
ということだと思います。
 
 
高校生のときラクビー留学生として来日したことは先程述べました。
 
異国の地に足を踏み入れ文化・言葉の壁などもあり苦労は多かったと思います。
 
でも、今は日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張っている。
 
リーチ・マイケル選手は、キャプテン就任時、自分が様々な国・文化の入り混じったチームを一致団結させ、そして何よりも強いチームを作ろうと固く自分に約束したんだと思います。
 
 

泣かないリーチ・マイケルが泣いた!

 
惜しくも準々決勝で南アフリカに敗れてしまった日本代表ですが、初の決勝トーナメント進出という素晴らしい結果を残しました。
 

日本代表チームの解散式で普段はあまり泣かないといわれていたリーチ選手が、

「このチームのキャプテンを務められて誇りに思う」とチームメイトに伝えて涙を流したそうです。

 

涙を流したとき、果たしてどんな感情が去来したかはリーチ選手本人しか知ることは出来ません。

 

でも、「己に誓った、日本代表としての仕事を今やり遂げた」という気持があったのではないかとわたしは想像しました。

 
 

「神に誓うな。己に誓え。」

 
物事がうまく進まなかったりすると、私なんかはすぐに自分以外にその原因を求めてしまったりする癖があります。
 
例えば他人や自分が置かれた環境、そしてひどいときは親のせいにしてしまったり…。
 
 
でも、まずは
 
「『己に誓ったこと』=『自分と交わした約束』に対してそれを自分は守っているのか。忠実でいるのか?」
 
それを疑ってみる。
 
そうすれば、実は物事がうまくいかない原因は、自分自身であることがほとんどのような気がした今日このごろです。
 
 
 
したっけね!!

人が死ぬ前に起きることについて

 

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アラフォーおじさんの健太です。
 
突然ですが、日々生活しているなかで
 
「自分が死んだらどうなるのか?」
 
「自分の周りの人はどう感じるのか?」等
 
考えたことがありますか。
 
 
わたしは、アラフォー40歳代です。
 
年齢的に、例えば身近な人が立て続けに病死したりするとかで死という現実を実際に直視することはまだまだ少ないですが、それなりに年もとってきたので死について考えることは最近多くなりました。
 
例えば、最近であれば孤独死が結構社会問題になってきているので
 
「自分も誰に看取られることなく孤独死してしまう可能性もあるかも?」
 
「自分が死んだら、誰か悲しんでくれるひとはいるかな?居なかったら悲しいなぁ…。」
 
とか。
 
そんななか、死についての面白い記事を発見したのです。
 
 
 
「人生の最期」の7日間に起きる知られざる現象
 
 
 
なぜ、この記事が目に止まったのか。
 
 
それは、ヤフーコメントのなかに
 
「死を迎えたひとは匂いが変わる」というのがあったから。
 
 
以前、私が親しくしていた医療機関に勤めている人が、「死期が近づいているひとは匂いでわかる」と言っていたのを思い出したからです。
 
 

本当に匂いが変わるのか?

 
「死期が近づいているひとは匂いでわかる」
 
私はその発言を聞いたとき「もしかしたら、そんなこともあるかもしれないなぁ」と否定も肯定も出来ない感じでした。
 
いまはSuica等交通系カードが通勤・通学定期としても利用されています。
 
紙や磁気カードに印字された定期券を利用しているひとは少数派となりましたが、そんな定期券に記載された利用期間や利用者名を改ざんして不正利用したとすると、結構な確率で改札する駅員さんに発見されたようです。
 
われわれ素人が目を凝らして見てみても、一見判別がつかない後から付け加えられた文字体や大きさの違い、修正した跡 等。
 
毎日毎日、改札で定期券を差し出される都度、記載内容をスキャン・チェックする作業を繰り返している駅員さんは定期券の絵面が事細かいところまで無意識に目に焼き付いている。
 
だから、一見して改ざんしていることがわからない定期券を差し出されても、これまで目を通してきた膨大な定期券のスキャニング情報と照らし合わせて「なにかおかしい」と直感的に感じるのだそうです。
 
それと同じで、日頃から患者さんと長い時間接し、無意識にその方の表情や息遣いなどが視覚・嗅覚に記憶されている医療従事者であれば、死期が迫っている患者さんが我々が検知できないような微妙な匂いを発していてもそれを「死期の差し迫ったサイン」として識別することができるのは何ら不思議なことではないとわたしは思ったんです。
 
 

人は生きることに一生懸命だ

 
死が間近に迫り弱っている人が急に元気になってしまう「中治り現象」
 
これは日本固有の現象ではなく、欧米でも観察されている事象で「last rally(ラスト ラリー)」と呼ばれているとのこと。
 
日本語で訳すと「最後の回復」。
 
「rally」意味を調べてみると
 
・〈人・集団が〉(共通の目的のために)結集する
・〈人・支援・世論などを〉(支持のために/反対のために)結集させる,再組織する≪for/against≫;〈軍勢などを〉立て直す
・〈人が〉(…から)力を取り戻す,回復する,持ち直す≪from≫
・〈気力・健康などを〉取り戻す,回復する,〈人を〉正気づかせる,元気づける,奮い立たせる
 
goo辞書より抜粋
 
記事にもあるように、「ラリー」と聞くと日本人は、パリ・ダカールラリーのような、モーターレースを思い出しますよね。
 
「rally」は「持てる力を結集させて、何かを成し遂げたり、回復させたりさせたりする」ことなんですね。
 
「結集」させるというのがこの言葉が持つ意味のポイントで、病気で体力が弱っていて、更に死期が迫ってきていて体力が落ちて生きているのがやっとの状態。
 
それなのに、持てる気力・体力を結集して短い時間でも病状を回復させて周りのみんなを驚かせてしまう。
 
まさに、「last rally」。
 
ピッタリな言葉だと思います。
 
死期が迫った状況と言えば、なにか大変な悲壮感を感じるものですが
 
「last rally」は人間が持っている生きることへの良い意味での執着や、大切な人が亡くなってしまうことで悲しみにくれる周りの人々を、自分が最後の力を振り絞って一時的にでも元気になって、「喜ばせてあげよう!」という優しさが為せる人間らしい行動だと思います。
 
 

心中を決意した恋人同士が最後にとった行動とは?

 
以前、確か自殺問題を扱ったテレビ番組で、恋人同士が心中する前にとった驚きの行動が紹介されていました。
 
二人一緒に自死することを決意した彼らがしたこと。
 
 
なんだと思いますか?
 
 
 
 
それは、なんと、恋人同士は死を目前にした最後のSEXにもかかわらず、避妊をしていたというのです。
 
彼らはもう死んでしまう。
 
だから、当たり前ですが避妊する必要はありません。
 
死んでしまえば妊娠する確率は0なのですから。
でも、避妊をしていた。
 
番組では、彼らの本当は「生きていたい」という希望。
 
「生への執着」が無意識かもしれませんが、そのような行動をさせたのではないかとコメントしていました。
 
 
当たり前ですが、人間は生物として生まれた以上、生物として「死が訪れるまで一生懸命生きる」という本能が備わっているのではないか。
 
急に病に臥していた人が、死を間近にして元気になってしまう「中治り現象」。
 
それが紹介された記事を読んで、あらためて我々人間が生きていることへの貴重さとありがたさ。
そして生命への尊厳を感じた次第なのでした。
 
 
 
したっけね!!

進次郎パッシング 原因は潔さが無かったから?

 

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アラフォーおじさんの健太です。
 
小泉進次郎さんパッシングが中々収まりませんね。
 
なぜ、小泉進次郎さんがパッシングを受けているのか、その原因について数々の識者がコメントしています。
 
わたしが、とても的を得ていてかつ、自分自身も非常に参考になると思ったのは、元大阪府知事、大阪市長の橋本さんの発言です。
 
橋本さんは、小泉進次郎さんの欠点として
 
「知らないことを知らないと言わない」ところ
 
とコメントしていました。
 
他の方が、「中身が無い」「何が言いたいのかわからない」「日本語の使い方が変」等
発言の内容について言っているのがほとんどの中
 
橋本さんは、小泉さんの発言姿勢についての欠点を述べていたのは非常に印象的でした。
 
 

潔さが無かった

 
たしかに、進次郎さんは、言葉の使い方はうまいかもしれません。
 
でも、橋本さんが指摘しているように「申し訳有りませんが、知りません。」とか
「これから勉強します。」とかコメントするのは聞いたことがありません。
 
天性の言葉のチョイスがうまいので、なんとなく意味の通っているようなことを言って、聞いている方は心地良いのだけれども、よくよく考えてみると何を言っているのか良くわからない。
 
「ポエム」とか「言語明瞭意味不明瞭」とか言われれている所以ですね。
 
 
進次郎さんに対する世間からのパッシングが始まって、今日現在も進んでる。
 
なぜ、急にパッシングするようになったのか。
 
わたしは、庶民派だと思っていた進次郎さんが滝川クリステルさんのような(少なくてもイメージ的には)高嶺の花でゴージャスな感じな女性と結婚してしまった。
 
進次郎さんは「庶民派」だということ。
勿論、それは世間が勝手に作り上げていたものですが
 
滝川クリステルさんとの結婚で、それが裏切られてしまったと感じたのが一斉にパッシングが始まった原因でないかと前回記事に書きました。
 
国連総会では、なんか勝手な感想ですが、妙にカッコをつけてスピーチしているように見えました。
 
英語でスピーチしたのはそれはそれで、素晴らしいことですが
 
でも…。
 
なんか無理に欧米人がするようなジョークやアクションをしていて、隣りで進次郎さんの発言フォローを入れてくれた女性に対しての態度も
「なんとなくきざに見えて」
「わざとらしい」
「無理に堂々とした態度を作っている」
 
そんな気がしたんです。
 
 
こんな発言をしたら、環境大臣立場としては失格なのかもしれませんが、
 
「では、どうやって火力発電をどうやって少なくするのか」と記者に聞かれた際
 
それに対するプランを進次郎さんが持ち合わせていなかったのだから
 
橋本さんが言うように
 
申し訳有りません
 
「現段階では、その有効なプランを知りません
 
とハッキリ言うべきだったと思います。
 
 
その上で
 
環境大臣として
 
「原子力発電を削減しつつ、火力発電も削減する」
「そんな困難極まりない命題の実現が果たして本当に可能なのか」
「産学そして国民一丸となって、その実現可能性について議論して知恵を絞っていく」
 
「そんな、動きができるような体制をリーダーシップをとって作り上げていく」
 
そのように発言すれば、わたしは良かったのではないかと思います。
 
 
環境大臣を拝命されたものの、解決しなければならないとてもシリアスなテーマが山積している。
 
自分はそれを解決する有効な答えを今は残念ながら持ち合わせていない。
 
だから、皆さん「力を貸して欲しい」と表明すれば、世間の風向きも違ったのではないかと思う今日このごろでした。