どうも。アラフォーおじさんの健太です。
「メールの文章に句読点を打ったら失礼」ってホント?もやもやマナーという記事がありました。headlines.yahoo.co.jp
皆さんはメールをする際、句読点をつける、つけないを気にしたことはありますか。
わたしは、この記事が目に入るまで正直、句読点をつけることが失礼に感じるひとが一定数?存在するということを初めて知りました。
記事によると、
もし、目上のひとが句読点があるメールを読むと(目上の人によっては)、「読みにくそうだから、わざと自分のために読みやすい文章にしてやっているのだな」と失礼な気分にさせてしまう恐れがあるということらしいのです。
だから、「メールの文章には句読点をつけるのをやめたほうが良いのでは?」という主張です。
わたしはメールの際、少なくても「句読点について」なにか人から言われたことはありません。
でも、自分なりに極力シンプルにわかりやすいようにメールの文章は書いているつもりですが、上司に「お前のメールは分かりづらい!」と怒られてしまったこともあります。
句読点は入れて良い
昔の日本語には句読点はなかったようです。
日本語は当たり前ですが、中国より輸入した漢字がベースになっていて、それに日本人がより読みやすいようにと、「カタカナ」と「ひらがな」を独自に発明し「漢字」+「カタカナ」+「ひらがな」で表記するのが今の日本語になっていますよね。
漢字だけで構成されていた昔の日本語には句読点は有りません。
「カタカナ」と「ひらがな」が入ってきて、文章が非常に読みやすくなって、そして句読点がつけられるようになって日本語の文章は更に読みやすくなった。
句読点があると、文章を読む際のリズムが生まれる。だから読みやすくなる。
メールの文章だって、立派な日本語の文章の一種です。
だから、わたしは大いに句読点をメールに入れても良いと思います。
多用しすぎたり、変な位置に入れるのはやめましょう!
ただし、この記事の読者コメントにもあったように、過剰に句読点を入れすぎてしまったり、句読点ではありませんが意味のない空白を入れてしまった文章は、読みづらいばかりかなんか「バカにされた」気分にもなってしまいますよね。
だから、句読点の多用は避けるべきですし、なるべく適切な位置に入れるように気をつけたほうが良いと思います。
契約書を読む気がしないのはなぜ?
例えば、保険や金融商品等を購入した時に渡される契約書ってありますよね。
あれって、たとえ読書が好きな人であっても、好んで自ら進んで「読んでみたい!」と
思う人は稀だと思います。
特に裏面にぎっしりと小さな字で書いてある契約条項。あれを読む気がしないのはなぜだかわかりますか?
勿論、字がこの上なく小さいことも大きな理由ですが、文章にリズムが無いからなんです。
契約条項は無機質な文字だけがぎっしりと所狭しに並んでいます。
そんな文章が目に入ってきたら、一気に読む気がなくなってしまう。
句読点は、「ここで一旦文を区切ってくださいよ」という文を読む際のリズムを与える効果があることは先に述べました。
だから、人に文章を読む気にさせて、しかもリズムよく気持ちよく読ませる役割を持っている「句読点」。
乱用はいけませんが、おおいにメールでも使うべきだとわたしは思うのですが…。
どう思いますか?